羊飼いのベルナデッタ像
家族は貧しく幼少の時から働いた
1863年頃のベルナデッタ
修道女当時の肖像画
修道院の庭にある水の聖母像
二度とルルドに帰ることがなかった
ベルナデッタがよく祈りに来た場所
聖ジルダール修道院の聖堂全景
ベルナデッタが臨終を迎えた椅子
聖堂に置かれたベルナデッタの棺
棺に眠るベルナデッタの遺骸
1858年2月11日、14歳の少女ベルナデッタ(フランス語ではBernadette ベルナデット)・スビルーがフランスのピレネー山脈の麓にある当時小さな町ルルドのはずれにあるガヴ川(正確にはGave de Pau:ポーの急流)のほとり、マサビエーユの洞窟のそばで枯れ木拾いをしているとき、一人の若い美しい女性が上の小さな洞窟の中にいるのを見ました。
その日以後、同じ年の7月16日まで18回にわたってベルナデッタは彼女に会い、ベルナデッタが日常話していたその地方の言葉で会話しました。ベルナデッタは目の前に現れた若い貴婦人が誰であるか分かりませんでした。しかしベルナデッタが何かを見て恍惚の状態にいるのを端から眺めていた人々は、それは聖母であると噂し始めました。何回かの彼女との会話で、聖母に言われた所を掘ってみると泉が湧き出てきました。またその貴婦人が罪人のために祈ること、ここに聖堂を建てるよう望んでいることを司祭に伝えるように言われました。ベルナデッタからそのことを聞いた司祭は信じることができずその女性の名前を聞いて来るように言いました。 彼女に会う度に何度も名前を尋ねるベルナデッタに、ついに16回目の出現の時その貴婦人はピレネー地方の言葉で次のように告げました。"Que soy era Immaculada Councepciou." つまりそれは「私は無原罪のやどりである」という意味でした。これを聞いた司祭は無学で字も読めない少女ベルナデッタが"Immaculada Councepciou"という言葉が何を意味するか知るはずもないので確かにそれは聖母であると確信しました。
出現の詳細はこちらをご覧ください。
1854年12月8日、教皇ピオ9世はエクス・カテドラ宣言によって、「無原罪の御宿り」をローマ・カトリック教会の正式な教義と定めました。無原罪の御やどりとは聖母マリアが原罪を受け継がずに母アンナの胎内に宿って生まれたという意味です。この宣言がされたのは、聖母自身がベルナデッタに言われた時の4年ほど前でした。
1862年1月タルブのローランス司教は司教教書でマリアが実際にベルナデッタに現れたことを認めるとの声明を出しました。
ベルナデッタはその後ヌヴェール愛徳修道会、聖ジルダール修道院に入り修道女となり病弱な身体を試練として受け入れ1879年、肺結核により35歳で亡くなりました。彼女の遺体は今も腐敗することなく、修道女の服装のまま眠るようにヌヴェールの聖ジルダール修道院の聖堂内に安置されています。
カトリック教会教皇ピオ11世は聖母出現の事実を正式に奇跡と認め彼女は1925年に福者となり、1933年12月8日に列聖(聖人にされること)されました。
聖母に会ったベルナデッタは次のように証言しています。私が見たのは、年頃16、17の貴婦人です。私は、今までにあの方のような美しい婦人を見たことがありません。白い着物を着て、ブルーの帯をしめ、右の腕にロザリオをかけていました。 貴婦人は罪人の改心のため祈るよう勧められました。私は貴婦人に接した時、私のみにくい心がとても気になりました。私はそれを正直に貴婦人に言いました。 何回も会うたびに「あなたの名前を教えて下さい。」と頼みましたが、最後の出現の時にやっと「私は無原罪の御宿りです。」と答えて下さいました。 聖母は私に、「この世ではなく後の世で幸せな者にしてあげます。」と約束されました。
当時ルルドの町はずれであった洞窟のある場所は壮大な聖堂や巡礼者のための施設などが建ち大巡礼地となっています。ベルナデッタが聖母に言われて掘った泉は、今も涸れることなく湧き出ています。その水を飲んだ人や泉の水に浸った人の病気や怪我が治ったという証言が数々あります。これらのことでルルドはフランス随一の癒しの聖地として全世界から年間6百万人もの巡礼者がやって来ます。
奇跡的に病が完治した例は、教会が医学的、科学的に検証し奇跡として認めたものでも多数あります。その他、公になっていないが癒しを受けた例は数知れません。
癒された人の実例については、、英語の著書 "Healing Fire from Frozen Earth" Paul Glynn 、と日本語訳「癒された人々」ポール・グリン神父著、に具体的に数多くの癒しが書かれていますので参照ください。
また、アレクシス・カレル博士 Alexis Carrel(1912年ノーベル生理学・医学賞受賞)の証言もご覧下さい。フランス語のサイト、
英語のサイトへ
ルルドのマサビエーユの洞窟が聖なる場所となると、それを模して世界各地の教会でもつくられるようになりました。そこではルルドの聖母に対してロザリオなどの祈りを捧げる習慣になっています。