出現当時のこよみ
1858年 | ||||||
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7月 | ||||||
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ベルナデッタは妹と友達と連れ立ってガヴ川のほとりのマサビエィユへ枯れ木を集めに行った。川を渡って洞窟の方に近づくために靴を脱いで靴下を取ろうとすると、彼女は一陣の風のような音を聞き、洞窟の方に頭をあげると「白い服を着た淑女を見ました。彼女は白いドレスで、白いベール、青色の帯をしてその足には黄色いバラが一輪ずつありました。」ベルナデッタは、十字の印をして、その女性とロザリオを唱える。女性は指でロザリオを繰っていた。祈りが終わると女性は突然見えなくなってしまった。
ベルナデッタは両親が禁じたにもかかわらず洞窟へ向かおうとする内面の強い力を感じる。彼女の主張で母は仕方なくそれを許す。ロザリオの最初の1連が終わると彼女は同じ淑女が現れるのを見る。彼女が持って行った聖水をふりかけると淑女は微笑み頭を傾ける。ベルナデッタは誰がひっぱっても重くて動かない。ロザリオがすべて終わると彼女は消える。
初めて淑女が話す。ベルナデッタは書くものを彼女に差し出して名前を書いてくれるよう頼む。「彼女は答えてそれは必要ありません」、そして付け加え「私はこの世であなたを幸せにすることはなく、あの世でです。」「お願いです、15日間続けて来て下さい。」と言われ、「はい」と答えた。
ベルナデッタは祝別されたローソクに火をつけて洞窟に持って行く。
淑女は彼女に個人的な祈りを教えた。最後に大きな悲しみがベルナデッタを襲った。
淑女はベルナデッタに朝早く現れる。幾人かが彼女と一緒にいた。彼女は警察署長ジャコメから尋問を受ける。彼は彼女が見たものを聞きたかったのだ。ベルナデッタは未だそれが誰なのか理解できず「アケロー」(それ)としか話さない。ベルナデッタはピレネー地方の言葉しか話さない。聖母との会話もその言葉である。
朝5時半、150人の人に囲まれ、ベルナデッタは洞窟へ向かう。出現者は彼女にだけの秘密を明かす。そこには町のお歴々もいた。彼女の様子を見て何か超自然の事が起こっていることを信じはじめた。
淑女のメッセージ「悔悛、悔悛、悔悛、罪人のため神に祈りなさい。罪人のため痛悔の心で地面に口づけしなさい。」300人ほどがいた。
350人がいる。ベルナデッタは述べる。「彼女は私に泉に行き水を飲みなさい。私はわずかな濁った水しか見つけられないので3回捨て4回目に飲むことができた。そして言われるままに泉の近くにあった草を食べた。それから彼女は消え、私も去った。」出現後彼女は「あのような愚かなことをどうしてするのか?」と聞かれると、彼女は「罪人のためです。」と答える。
800人がいる。出現者は沈黙。ベルナデッタは泉の水を飲み悔悛の動作をする。
1000人以上が見守る。彼女は祈り、地面に口をつけ、悔悛を示す動作で両膝で歩む。その後彼女はリブ判事のところへ連行され、彼は監獄へ入れるぞと脅す。
1500人以上が集まる。その中に司祭は行ってはならぬとの命があったのを知らずにデジラ神父が来ていた。彼は彼女の様子を間近かで観察し感動しその場にいたことを喜んだ。
その夜身重のカトリーヌ・ラタプが洞窟へ行く。彼女は泉の水に動かない手を浸すと彼女の腕と手は動くようになり、遠い道を歩いて帰り男の子を産んだ。この子は後に司祭になる。
群衆はさらに膨れる。淑女は彼女に求める。「行って司祭たちに伝えなさい。人々がここに行列をして、聖堂を建てるように。」ベルナデッタはこのことをルルドの主任司祭ペィラマールに話す。彼はただ一つ「淑女の名前を聞きたい。さらに一つの証拠がほしいのだ。洞窟にこの真冬にバラの木が花を咲かすのを。」と言った。
朝の7時から3000人の人の前でベルナデッタは洞窟へ行くが現れず。放課後ふたたび淑女からの内面の強い誘いを感じ、洞窟へ向かうと淑女があらわれた。再度彼女の名を尋ねる。微笑が返るだけ。
主任司祭ペィラマール師はふたたび「もし淑女が本当に聖堂を望んでいるなら名前を明かし、洞窟のバラに花を咲かせるよう」云いなさいと。
群衆は常に数限りなく(およそ8000人)この15日間の最後の日に奇跡を待つ。いとこのジャンヌにずっと一緒にいてくれるよう約束していた。45分ほどの出現中淑女は沈黙。
主任司祭ペィラマール師はまだ名前の事にこだわっている。20日間ベルナデッタは一回も洞窟へ行かないので、抗し難い力を感じる。
目覚めると洞窟へ呼び寄せられる力に引かれ5時にそこへ行く。ロザリオが終わると、淑女が現れ再三の求めについにその名をあかす。がその足もとのバラは出現の間中咲かない。ベルナデッタは言う。「彼女は眼を天に向け、祈りの形に手を合わせて下の方に広げて、私に言われた "Que soy era Immaculada Councepciou."(これは私は無原罪の宿りですという意味でした)。」
ベルナデッタは走ってそこを離れ、その途中ずっと自分には分からないその言葉を繰り返し言いながら司祭館へ。この言葉を聞いた正直な主任司祭は困惑した。
無原罪の宿りとは何か彼女には分からないことであった。夕方エストラード氏から説明され始めてそれが聖母であると分かった。
これに先立つ4年前、1854年教皇ピオ9世はこれをカトリックの信仰箇条(教義)とした。
この出現の間中、ベルナデッタは火のついたローソクを持っていた。炎は長い間彼女の手をあぶり続けていたが火傷はしなかった。この事実は直ちに医者ドゥズーが検証した。
ベルナデッタは洞窟へ不思議に呼び寄せられるのを感じた。しかしマサビエィユへ立ち入ることが禁じられ道も囲いでふさがれていた。彼女はガヴ川の反対側で洞窟の方に向かった。ローソクに火をつけ膝まづいて祈っていると様子が急変した。それが聖母をこの世で見た最後であった。「私はまるで以前と同じように洞窟のすぐ前にいるように感じ、ただ聖母だけを見ていました。このように美しい彼女を見たかとがありませんでした。」
エストラード夫人が尋ねた。「一番幸せだったのは初聖体と出現のどっち?」 答えて言った。「二つは一緒のことですが、比較することはできません。どちらの時もとても幸せでした。」
モンペリエの司教がベルナデッタに会いたいとルルドへ来た時、主任司祭は彼女を司祭館へ呼んだ。司教は彼女に心打たれた。
別の教区の司教が彼女に会いにきた。彼も感激し信じて帰った。
二人の司教の要請でタルブの司教は調査委員会を設置することに同意。有名なフランスのカトリック新聞の編集者、ルイ・ヴィヨー氏が来た。
カトリック新聞、ユニヴェールに彼女とのインタビュー記事が1ページ全部を埋めた。
この年の初めまでその地方の言葉しか話さなっかた。フランス語は彼女には外国語で、間違いだらけだった。「私はほとんど字が読めない。」
また彼女は忙しかった。家の助けをする、子守をしに行く、家事の手伝い、妹の世話、タルベィヴァイ夫人に勉強をならう。来る人の質問に答える、これは彼女にとって何よりつらいことであった。
費用を払わなくて良いとのはからいで病院へ入る。そこのシスターの学校で基礎教育を受ける。ここが修道院へ入るまでの住まいになった。彼女はここで従順を学び、自分を抑えることを学んだ。一年間続けて勉強ができるようになり、16歳になった。
家族は牢屋の家を出て菓子屋と飲み屋の一部屋をかりる。1859年始めグラの水車小屋で父フランソア・スビルーは働き始める。
バカンスをとっていたフランス皇帝ナポレオン3世は洞窟の柵を取り外すよう命令した。
彼女は始めて教会から正式な尋問をうける。彼女は喘息に苦しんでいたが病気が治るように祈ったかとの問いに、「いいえ」と答えた。
タルブのローランス司教の所へ出頭。最後の調査「マリアは柔らかい光に包まれていた。その光は出現の前から出ていてあとまで残っていた。」
始めてベルナデッタの写真が撮られた。
タルブのローランス司教は司教教書でマリアが実際にベルナデッタに現れたことを認めると声明を出した。
持病が悪化し危険な状態になり塗油の秘跡をうけるが回復した。
2回目の写真が撮られる。
著名な彫刻家がルルドのマリア像を作ることになりベルナデッタはその石膏模型を見せられ実際に見た姿を述べる。
大理石の像が到着。それを見て「その通りです」と言ったものの、「いいえ、違います。そのようではありません。背丈も大きすぎです。」ベルナデッタによれば1.4m位。非常に子供らしい様子であった。
ミサのあと「召命の光を受けた」と修道院長に云う。
モメールへの休暇旅行へ行きそこで 写真も撮ってもらう。毎日ミサにあずかり、週3回の聖体拝領、毎日ロザリオを欠かさなかった。
フォルカード司教の尽力を得てヌヴェール修道会へ入る許可が下りた。
別れの時が近づく。修道院のシスターと、聖母会員と写真を撮る。 7月2日には一人で。 洞窟へ最後の別れに行く。7月3日の晩カデラの水車小屋で家族全員遅くまで集まる。
翌日タルブ駅から出発。ボルドー経由、ペリグーで1泊
土曜日朝7時ペリグー発、夜10時半ヌヴェール着。ヌヴェールのサン・ジルダール修道院に入会した。「私は隠れるためここに来ました。」
日曜日、300人もの修道女に出現の体験を話す。「泥水の事汚かったので3回も捨てた。」 故郷を離れるのはとても辛かった。生まれて以来一番大きな犠牲。「ルルドでの私の使命は終わりました。」
他の42名の志願者とともに着衣式。シスター・マリー・ベルナール(Sœur Marie-Bernard)となる。修道女は各地へ送られるが、彼女はここにとどまることになる。
喘息が激しくなる。
病気が悪化しもうダメかと思われた。その時誓願をたてる。
完全に回復する。
フォルカード司教によって誓願をたてる。そこでの仕事は祈ることと看護助手のこまごました事をこなすこと。
ルルドの出現小史書かれつつある。
またも重い病気。死ぬかと思われた。
父フランソアが亡くなる。
激しい発作、3回目の塗油の秘跡を受ける。
看護婦のシスターが亡くなったため、彼女が看護婦の仕事をする。
再び症状が悪く、復活祭には発作。
別の看護婦が任命される。ベルナデッタはもとの補助看護婦に戻る。
補助看護婦と香部屋係りを務める。
この年ずっと病人の生活。
喀血した。
少し体調がよくなる。
誓願更新、聖堂まで行き誓約文を読む。
また悪化、膝の痛みもひどい。
喀血。
膝のカリエスさらに悪化、「私はもう聖堂には行かれません。病室にいるだけです。」
終生誓願。
本部の別棟の聖十字架室と言われる病室が最後の居場所になった。
イエズス会のクロー神父はサン・ジルダールについた。彼はルルドの出現について書くよう頼まれていたからだ。
この日から寝込む。ベッドから長椅子までやっといけるだけであった。
この日から死ぬ1ヶ月前まで 尋問と調査を受けねばならなかった。
病室で苦しくてうめいていた。
塗油の秘蹟を受ける。4回目。
一人の神父がルルドのマリア像の写真を持ってきた。
4月6日から聖週間。絶えず咳をする。
「死ぬためにこれほどの苦しみがあるとは思いませんでした。」
復活祭。
霊的な苦しみ。「サタンよ去れ。」
最後のよる、12時過ぎフェーブル神父がきて告解。
息を引き取る。自分の胸にある十字架に手を当てていた。それは紐で結ばれていた。ルルドの出来事を書いたラセール氏は彼女の遺体を見て非常に美しかったと言った。
「聖母が私を選ばれたのは私が一番貧しく一番無知だったからです。」
「主よ、これらのことを知者や学者に隠し、小さいものに表してくださったことを心から賛美します。」
「彼女の目は青だった。彼女は指輪をしていなかった。」
「病気のことは神からの親切として受けなさい。貧しい人に仕え自分を捧げること。決して失望に陥らないように。そして聖母マリアをたくさん愛しなさい。」
「マリア様が私は無原罪の宿りと言われたのですがその意味がわかりませんでした。しかしその時からいろいろ考えて自分にこう言い聞かせています。本当にマリア様は優しい方です。それでマリア様は教皇様の言葉を確認するためにおいでになったのです。」
タルブ司教区 | ローランス司教 | |
ルルド教区 | ||
主任司祭 | ペィラマール神父 | |
助任司祭 | ペンヌ神父 | |
セール神父 | ||
ポミアン神父(いつもベルナデッタの告解を聞く) | ||